朝、録画したテレビを見ていました。
青森の津軽鉄道が紹介されていました。
青森の勤務のとき、乗った記憶があります。
青森に行くとわかるのですが、人が少ないですね。
若い人はどこにいったのだろうと思いました。
今、東京で暮らしていると分かります。
若い人は東京に集まっている。
青森には居場所がないのです。
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歴史認識を議論していますが、どうも賢い大人の議論とも思えません。
国が歴史を語るとき、自分を悪者にした歴史などかくはずもなく国民の支持も得られません。
戦後独立を果たした国
ソ連崩壊後誕生した国の歴史とは何でしょうかね。
国の歴史とは国民の出自と正当化することが基礎にあるのです。
どこから見ても、正しい客観的な歴史など存在しないのです。
それと国が国に謝罪するなど観念的にもありえません。
個人が自分の責任において謝罪はあり、現実的であります。
それをいい大人ごちゃまぜにする。
それが現代の姿なのでしょうね。
そんな議論にのるつもりもなく
主張することは何もないのですが、ついつい口が滑りました。
いつも思うのですが戦時中に隣り近所から生まれた大政翼賛会の人たち
「私たちはむりやりかりだされただけで、自分の意志ではなかった」ということでちゃらになたのでしょうかね。
歴史の読みとり方は不可解です。
負けたものが全ての負い目を背負うようにできており
勝てば「正義の勝利」となるのです。
どうも、違っていますね。
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「正しさ」が勝利をえるとのはずもなく勝ったものだけ正義を語る あきオジ
言い訳ができない議員が泣き叫ぶそのていどならいくらでもいる あきオジ
選ぶ人選ばれた人それぞれが利用し合うもちつもたれつ あきオジ
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あと二十年なんとか現状維持をしてほしい
願いはそれだけです。
あとは野となれ山となれ
当たり前世間並を演じてもどうにもならない人みしりの癖 あきオジ
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写真が登場しCGが溢れる時代にはその時代の表現形式があり方法が生まれるのですね。
もう、アカデミズムの表現は古典芸能になりさがり
時代をけん引する力にはなりませんね。
それにしても昭和記念公園に行くと高級カメラをもった人がいっぱい
以前として水彩で風景を描いている人が溢れています。