寺山修司の短歌は瑞々しいですし表現は新鮮です。それでいて語調は崩していません。
そこが面白いですね。いいですね。もっと、猥雑なものと取りあげているはずだと思いませんか。私は未発表の短歌があり、猥雑でいながら美しい、耽美的な歌集がどこかにあるように思えてならないのです。)
ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん
とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を
ふるさとにわれを拒まんものなきはむしろさみしく桜の実照る
ペダル踏んで花大根の畑の道同人雑誌を配りにゆかん
わが通る果実園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む
わが鼻を照らす高さに兵たりし亡父の流灯かかげてゆけり
煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし
夏川に木皿しずめて洗いいし少女はすでにわが内に棲む
胸病みて小鳥のごとき恋を欲る理科学生とこの頃したし
五月なりラッキョウ鳴らし食うときも教師とならん友を蔑む
倖せをわかつごとくに握りいし南京豆を少女にあたう
黒土を蹴って駈けりしラグビー群のひとりのためにシャツを編む母
耳大きな一兵卒の亡き父よ春の怒涛を聞きすましいん
秋菜漬ける母のうしろの暗がりにハイネ売りきし手を垂れており
草の穂を噛みつつ帰る田舎出の少年の智恵は容れられざりし
知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空箱
蝶追いきし上級生の寝室にしばらく立てり陽の匂いして
蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき
人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ
少年のわが夏逝けりあこがれしゆえに怖れし海を見ぬまに
一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを
向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し
地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり
村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ
(こんな歌を読むと、十分ではないけれど「魁」という言葉を思い出しますね。
近代絵画が一気に抽象絵画が移行するのではなく、徐々に新しい表現形式を試行錯誤して生まれるのですね。寺山の歌は、途中で投げ出してしまったことが素敵ですね。)
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