湘南の海です。
いかにもという雰囲気ですね。
地元に住んでいる人にとっては、これが日常生活なのですね。
青森の人がきのこ取りに出かけるようなものです。
改造自転車にボードをのせて走っているのを見るとそんな気がします。
地元で繰り返しているうちに
どのようなものも改良が加えられ
新しい形が生まれるのですね。
当然、私の幼いころの海は海水浴でした。
そして、砂遊び
それ以外の遊びがあったのでしょうかね。
思いだせません。
・・・・・・
自分のスタイルにこだわり10年続ければ他の人が追い付けない世界が生まれるような気がするのですね。それが分かってから、小さなことでも始めたら続けることにしています。続けるから好きになる。好きだから続けられるというのは最後に言える言葉のように思えるのです。
万(よろず)を有漏(うろ)と知りぬれば 阿鼻(あび)の炎も心から。
極楽浄土の池水も心澄みては隔て無し。 梁塵秘抄
(「有漏」は煩悩があること)
(平安時代の庶民は、このような歌を聞きながら仏教の教えを身についていったのですね。それもいいですね。)
・・・・・・
流れゆく雲の行方は知らずともとどまることなく去りゆく夕べ あきオジ
・・・・・
目覚めた時、今日「すること」に気づけるって、ある意味では素晴らしいですね。
老人はそうはいかない。
「何もすることがない。それでいいのだ」と言い切れるためには
「何もしないたのしみ」まで到達しなければなりませんね。
こりゃ大変だ。