昭和記念公園の小鳥です。
静かで何もかも時間を掛けて変化していくものの中で
小さく動き回る小鳥は、楽しいですね。
小鳥も見守る自分も
「ここにいる」とい実感がわいてきますね。
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雨降ればおどおど歩きひたすらに転ばぬように滑らぬように
雨ふればあれこれのこと気になれど明日の曜日を思いだせない
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橘曙覧の歌
なかなかに思へばやすき身なりけり世にひろはれぬ峰のおち栗
(大意 考えてみると、かえって気安い身であった。世間から捨てて顧みられない、峰の落栗のような我が身は。不遇の身をかこつという「述懐歌」の古来のルールに則りつつ、効果的な比喩を用いて印象あざやかな一首となった。斎藤茂吉晩年の歌「あたらしき時代(ときよ)に老いて生きむとす山に落ちたる栗の如くに」は明らかに曙覧の歌の影響を受けている。)
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世の中にいろいろな場所で、自分が生きていることを確かめる道を探しているのですね。
あれこれの仕事がありますが、現世を生きる仮の姿。
これからが自分が自分であること示す日々だ
そんなことを考える人もけっこういるのですね。
自分が自分らしくいられることが大切なのですね。
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おもむろに茶碗のふたをそっと取りすすれどだれもいるはずがない 方代
(生真面目さとそれなりのゆるさ、どちらもいいですが、ゆるさが私には懐かしい。でも周囲を意識している自分を笑う余裕もほしい。)
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寺山修司の「書を捨て街へ出よう」を見ました。
昨日から、3度目です。
イメージを多様な手法で構築して
その断片をつなぎあわせる。
かつて、流行した手法ですが
娯楽としての映画の中では広まることもありませんでした。
素人を主演にしたことで面白い雰囲気が生まれました。
コラージュ風の映像や展開のときに使用される
意外性溢れた画像は新鮮ですね。
名作かどうか分かりませんが
当時としては、意表をついた映像であり
イメージが独り歩きする楽しさを教えてくれました。
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一時、映画から離れていましたが、新しい映画というか
これまで避けてきた映画を集中してみようかなと思ったりもします。
とくに昭和20年代から30年代の自分が育った時代の映画を見たいですね。
きっと、自分の生きてきた道を振り返るに都合がいいかもしれません。