やれやれですね。
雨ふれば洪水の心配をし
雨が降らなければ干ばつの心配をし
天気に左右される仕事の人は心配ですね。
盆休み
帰省する人が多いようですが
家族関係が希薄になるとい話ですが
どのような変化が生まれているのでしょうか
高速の渋滞関係のニュースしか流れませんが
どこかで地殻変動しているかもしれませんね。
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見えないものは怖くない。
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これまでもこれからもまたさらさらとl軽き響きの流れのままに
主張などそんなものはなにもないたよりになるのは自分の足だけ
投稿欄誰がつくりし装置なるか取捨選択さえも操作自在
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「百人一首」高橋睦郎著から引用(以下同じ9
秋の田のかりほの庵(いほ)の苫(とま)をあらみわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇
(高橋睦郎訳 以下同じ)
(秋の田のほとり、豊かに稔った稲を刈り干すための仮小屋は、苫の日も疎く暮れかかっているので、そこで夜番をする私の衣の袖な濡れどおしうつらうつらと仮眠することもできない。)
この歌は天智天皇が自ら作った歌ではないようです。当時、額田王のように天皇の代わりに歌を作る職務の人がいて、ときに応じて天皇にかわって作っていたようです。そうだとすれば、それで納得ですね。
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世のなかに心ありあけの人はみなかくて闇にはまよはぬ物を 西行
(仏の道に心ある人は、みなlこうして後世を願って、闇には迷わぬものなのに。)
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井上陽水を特集した番組を見ていました。
彼の作った曲の中には「日本語にあったけ」という表現が頻繁に出てきます。
でも歌の歌詞だと受け入れられるのですね。
そこが面白かったですね。
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茨木のり子
「自分の感受性くらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
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