深大寺門前の蕎麦屋の玄関の生け花
大胆でいいですね。
どさっという音まで伝わるような豪快さが嬉しいですね。
私は生け花でも俳句でも短歌でも
繊細で技巧的なものは苦手で
単純明快なひらがな文字で
はっきりしているのがいいですね。
利休までいってしまうと困りますが・・・
まあ、そんなところですね。
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鬼ヤンマ穂先で揺れる午後三時どれだけのとき残されているか あきオジ
三島駅自動改札通れない母もいないし挨拶もない あきオジ
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晴天の遠く聞こゆる風の音おのづから湧く寂しさのあり 佐藤佐太郎
隣家より土を伝ひてひびき来る建築の音たのしともなし 佐藤佐太郎
(目出度いはずの新築家屋、でも、先の無い老人には素直に喜べない。「分かる分かる」と言いたいほど共感する。人の幸運を自分のことのように喜べるのは「おこぼれにありつける」ときぐらいではないでしょうか。他人のよろこびを自分の喜びとしてなどというのは、どこか違っている。表向きがそうしておく。でも実は違っている。それが正直なのだ。正直者など迷惑なだけ。そんな乱暴な言い方も、けっこう当たっている。)
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ほほけたる穂草を鼻に詰め込んで極楽浄土に急ぎたまえり 方代
(淡々としているが、そうでもない胸のうち。きれいごとで対応しきれないのです。他人の死は知っていても、自分の死を自分は知らない。)
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この頃は、先の夢とか希望ではなく、眼先のこと、明日のこと、sれせ精一杯ですね。意識しなくても、そうなっていくのが不思議。老後のことなど心配しなくても、その時期が来ると、そのような思いになるということですね。難しく考えない。
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